2008年の背番号風景

日本プロ野球における各背番号別イメージ変遷史

40〜49

49

【2008年開幕時点】 クロマティの圧倒的成功で外国人選手が着けるケースが格段に増えた。ものの追随成功例は少なく、“助っ人級”の活躍を見せたのは'90年アレン、'92年モスビー、'01年ディアス、それにベイル、ぎりぎりマリオぐらい。 ハドラー、テータム、ジ…

48

【2008年開幕時点】 '37年に監督兼外野手の桝嘉一が「50」を着けレギュラー、の前例はあるが、その後戦前・戦中は最大背番号「39」、戦後も'46年「32」→'47年は最大こそ「50」も選手出場4試合(監督兼投手、2番目の「40」も助監督兼捕手で選手時1試合)、でレ…

47

【2008年開幕時点】 小山の登場で“投手”番となり、工藤の活躍で"左投手” 番となった「47」。この2大奇跡によって敬慕の眼差しを受けるようになったが、揺籃[ようらん]時は当然、無銘[むめい]の存在。その中にあってまず最初に"漂着”したのは、'56年保坂〜'57…

46

【2008年開幕時点】 「46」のイメージデビューは'53年。前年春の甲子園大会で4試合オール完封で優勝投手となった田所の入場時。しかしプロの水は甘くなく、29登板2勝6敗に終わった。シーズン終盤にはもう1人の高卒1年目投手、中村が10登板でアレヨアレヨと4…

45

【2008年開幕時点】 '54年、当年デビューの山下が8月無安打無得点試合を含む12勝(14敗、250イニング)。同年7月に初昇格した大石もそこから190回[イニング]を投げ5勝16敗。山下は'55年17勝(15敗、290回台)でチーム勝ち頭よ といきなり順境発進。も、すぐに'58…

44

【2008年開幕時点】 ハンク・アーロン(=大リーグ通算の715号を放つのが'74年)、レジー・ジャクソン(=ワールドシリーズ3打席連続本塁打で“ミスターオクトーバー”の呼称が付くのが'77年)の影響色濃い大砲番。両者とも大注目されるようになるのは'70年代以降…

43

【2008年開幕時点】 初めて1軍戦力としてイメージ帯同したのは'54年{※1}北原。27登板中21 先発 (91イニング)で4勝(3敗、&日本シリーズ2回[イニング]4奪三振)を挙げ、翌'55年22登板(1先発)38回 1勝の福島ともども次代主力候補として先行投資的起用された。そ…

42

【2008年開幕時点】 平成に入ってから突貫的に猛伸張してきた最新の“助っ人”定番。 永らく日本球界では、「42」がほとんど無視に近い状態で“放置”されてきた。だが各球団保有選手数の増加が着手を生み、'97年大リーグ全球団で「42」が永久欠番{※1}となってか…

41

【2008年開幕時点】 上の表からも分かる通り、渡辺久の登場以前は圧倒的に野手優性ナンバー。それまでの通年奮迅例は'52年山根、'57年後尾、'58'59年三平[みひら]、'68年柿本(前者2名は2桁勝利)ぐらいで、他に'51'53年山根、'67'69年柿本、'70年半田、'79年…

40

【2008年開幕時点】 まさに孵化寸前。卵殻を思わす背番号。「39」までは基本1軍、「40」からは2軍、というイメージを顕すように、「40」脱初年にレギュラー(“準”含む)となったのが宇野、宮寺、久保、高橋慶、笘篠、塩谷、斉藤秀。初打率3割記録が宇野、並木…