20〜29
【2008年開幕時点】 かつてはスター野手ナンバー。'64年に山内一弘に抜かれるまで265で本塁通算最多記録保持者だった青田、'80年に衣笠祥雄に抜かれるまで1246で連続試合出場最長記録保持者だった飯田、華麗な内野守備{※1}で「今牛若丸」の異名を取った吉田…
【2008年開幕時点】 江夏以前、江夏以後で大きく印象が異なる。江夏以前はどちらかといえ野手の番号。投手は'42年広瀬、'52年野口正、'53年大神、'56'57年中山、'63年河村が20勝前後、'63年石川陽、’65年林が15勝超の突出実績はあるものの、規定到達回数を見…
(2008年開幕時点) 別当、スペンサー、松原、大田、高井、クラーク、新井貴、村田修・・・と続くた右主砲ナンバー。中でも別当、スペンサーの存在は日本プロ野球史においても非常に重要な局面に位置している。特に別当はプロ入りがすでに“事件”だった。 当初マ…
(2008年開幕時点) 一時エース捕手番の座を獲る勢いだった「22」。ライバル「27」方の伊東勤台頭が'84年、そこから'89年中嶋聡台頭まで“正妻”は伊東1人。に対し「22」はその間、田村藤&木戸、に若菜('87年)、中尾 ('89年)の“多妻”ぶり。も、'91年以降、こ…
紆余曲折——。この一語に貫かれた背番号、の趣。その筆頭領主・江夏は「28」でエースに君臨→「17」で“ストッパー”という働き場を確立、球団を転々としながら「26」では'79年より3年連続優勝貢献。ストッパーの存在価値を“ペナント奪取の絶対条件”にまで高めた…
ピッツバーグ・パイレーツ時のバリー・ボンズ('92年まで在番)、シアトル・マリナーズ時のケン・グリフィーJr.('99年まで在番)の影響で、走攻守揃った“左の万能スラッガー”番のイメージが濃い「24」だが、そのイメージに沿うのは高橋由伸だけ。 米国の源流が…
実質エースナンバーだった時期がある。タイトルラッシュが訪れた'50年代前半、'60年代序盤での'52'54年杉下、'55年大友、'61'62年権藤博は30勝台。'60年堀本も29勝で一挙「投手番号」中の頂点へ。さらに池永、木樽と続いた。だが個々事情はあるにせよ短命投…