20〜29
(2008年開幕時点) 別当、スペンサー、松原、大田、高井、クラーク、新井貴、村田修・・・と続くた右主砲ナンバー。中でも別当、スペンサーの存在は日本プロ野球史においても非常に重要な局面に位置している。特に別当はプロ入りがすでに“事件”だった。 当初マ…
(2008年開幕時点) 一時エース捕手番の座を獲る勢いだった「22」。ライバル「27」方の伊東勤台頭が'84年、そこから'89年中嶋聡台頭まで“正妻”は伊東1人。に対し「22」はその間、田村藤&木戸、に若菜('87年)、中尾 ('89年)の“多妻”ぶり。も、'91年以降、こ…
紆余曲折、この一語に貫かれた背番号というイメージがある。その筆頭領主・江夏は「28」でエースに君臨→「17」で“ストッパー”という働き場を確立、球団を転々としながら「26」では'79年〜3年連続優勝貢献。ストッパーの存在価値を“ペナント奪取の絶対条件”に…
ピッツバーグ・パイレーツ時のバリー・ボンズ('92年まで在番)、シアトル・マリナーズ時のケン・グリフィーJr.('99年まで在番)の影響で、走攻守揃った“左の万能スラッガー”番のイメージが濃い「24」だが、そのイメージに沿うのは高橋由伸だけ。 米国の源流が…
実質エースナンバーだった時期がある。タイトルラッシュが訪れた'50年代前半、'60年代序盤での'52'54年杉下、'55年大友、'61'62年権藤博は30勝台。'60年堀本も29勝で一挙「投手番号」中の頂点へ。さらに池永、木樽と続いた。だが個々事情はあるにせよ短命投…