30〜39
【2008年開幕時点】 「27」 「22」に次ぐ正捕手ナンバー3番手。'63年までの土井に'69年岩木、'72年片岡、'73年水沼、'74~'83年中沢、'77~'81年若菜、'78年黒田、'88~'02年中村武、'92年秋元、そして'98年~矢野をレギュラー(もしくはレギュラー格)に得、'…
【2008年開幕時点】 「38」でキャリアハイを迎えたのは投手で三輪、ホフマン、に中継ぎの成重、野中、野手で末次[すえつぐ]、東条、阿部成、に捕手の山川、高田といったところ。他にレギュラー野手となった藤井康('88年)、片岡篤('92年)、土橋 ('94年)は脱番…
【2008年開幕時点】 たいていの30番台(「34」「39」を除いた)と同じく1軍半番号。相沢、米山、中島執、大失根、根来[ねごろ]、与田、大石、平野、定岡、篠塚、山川、元木、吉武、早川が脱番後にレギュラー戦力(“準”含む)となり、レギュラー獲得後脱番の清[…
【2008年開幕時点】 「36」のイメージを初掲揚させたのは国松。'59年に1軍定着、'60~'68年とレギュラーを務め、'69年準、'70年半レギ格。毎年“打率.250&本塁打10”前後で、'62年まで主に一番。から'63年柴田勲台頭により二番に移って(=当年犠打王&盗塁3位…
【2008年開幕時点】 現在は特徴を見出しづらい「35」だが、その登場は鮮烈だった。'40年に谷レギュラー&中田半レギ、'41年谷半レギの初動後、当時の東京6大学 No.1投手・藤本が'42年途中プロ入り来番。デビュー試合の9月27日先発登板は新聞紙上で告知され、…
【2008年開幕時点】 この背番号はほぼ金田正を下敷きにイメージ構成されている。それまで、玉腰が'40年に半レギ~'41'42年レギュラー、山根が外野補完要員。投手は'40年玉腰が初登板初完封の1勝、'43年中村4勝、'50年(5月に)荻原1勝。そして'43生は開幕前背…
【2008年開幕時点】 主役の影に配されてきた次点ナンバー。そのイメージ発現人は梶本、毒島[ぶすじま]の長身良識派の両人。 梶本は20勝以上4度の超一流実績ながらノンタイトル{※1} (奪三振数は当時タイトル選外)。 高卒1年目に20勝を挙げても新人王すら獲れ…
【2008年開幕時点】 暫定一軍戦力、それが「32」を与えられた選手の通則。ここをスタート地点に、正ポジション確保なればレギュラー番号を新調、バイプレーヤー定着なら「32」継続。何となく“ドラフト3位”的なイメージ。それは(「34」「39」を除いた)30番台…
【2008年開幕時点】 柴原洋、真中、 小関の左一・二番打者競演が一段落し、森野、吉村、林威、小谷野の準中軸打者へとイメージ転回中の「31」。現在は真中も切り札代打で “打の人"イメージ主調。 かつてカークランド〜掛布が掲げた"本塁打者「31」"の金看板の…
【2008年開幕時点】 これほど印象が一変した背番号もないだろう。'60年代序盤あたりまでは「監督番」一色。'60年代中盤はコーチの着用例も目立ってくるが、これはまぁ「監督番」イメージの亜流。ただ「監督番」→「選手番」へと移行する際のクッションになっ…