2008年の背番号風景

日本プロ野球における各背番号別イメージ変遷史

背番号

99

【2008年開幕時点】 平成に入ってから“選手番のトリ”として急速に流通した「99」。 初期の鳥坂、に'79年渡部は選手登録ながら実体はほぼ打撃投手要員。この重苦しい番号を「インパクトが強く、覚え(られ)やすい」という一点でもって選手番に生かしたのは稲垣…

70番超(99を除く)と02

【2008年開幕時点】 当機構[NPB]初の“70番超”選手は、'52年「71」の小田喜美雄。身長191cm 体重86kgの巨躯でも目を引く存在で、'54年3打席1安打をマーク。その後'57年に「71」アラン山本が20打席1安打。から'61年、「75」後藤修が36登板(9先発)で93イニング5…

69

【2008年開幕時点】 現在「99」にその座をとってかわられているが少し前まで“選手番のドン尻”だった「69」。見た目に「99」 ほど切迫感なく、スマートな印象を持つ“秘密兵器”ナンバー・・・それは99と100には“桁数が変わる”という原則的な相違があるのに対し、「…

68

【2008年開幕時点】 '60年代にのちのレギュラー・種茂(在番時出場1試合)、白(在番時出場0) 、東条(在番時14試合)、菅原(在番時出場O)、阿部(在番時2登板⇒野手で開花)、にプチ頭角を現した松本(在番時出場0→通算53登板3勝)、浜崎(在番時出場0→通算43登板1勝)…

67

【2008年開幕時点】 “6”という字面の持つ明イメージに“7”のクール感が調合され、シャープかつ鮮やか{※1}な番相をたたえる「67」。その印象通り、黒江、加藤、亀山・・・と敏捷系で名を成した選手を輩出している。捕手ながら野口寿も脱番後(の'00年)三塁打王と…

66

【2008年開幕時点】 隠れた出世番号。石井琢朗、中村紀洋、「66」通しで斉藤和巳、にプレー期間ゼロの一瞬在番ながら(着'98年の開幕前に退団)、米大リーグでのソリアーノと、タイトルホルダー続々輩出{※1}。 実績No.1(通算2000安打超)の石井はイブシ銀の趣も…

65

【2008年開幕時点】 選手番としての躍動が目立ち始めるのは'90年代に入ってから。加えて野手レギュラーは0、投手も規定投球回到達は3例と独自色が見出しづらい中にあって、'67年菅原~'00年戎[えびす]の“1発屋”(菅原はのち準復活・・・詳細は下記)像がインパク…

64

【2008年開幕時点】 え、こんな選手いたっけ? いつの間にこんなスゴくなったんだ? 今までどこに潜んでたの? そんな声が聞こえてきそう。誰に注目されずとも、至ってマイペースに夜ごと爪を研ぐ不言実行タイプ。自らで光るより主役の脇で映える性質にもリ…

63

【2008年開幕時点】 かつては「名コーチ」のイメージ。初表舞台登場は選手方のマケーブ(遊撃レギュラー格で.207 3本 20盗塁)だが、翌'55年藤田がヘッドコーチで「63」着。すると以降、コーチラッシュ・・・特に、藤村、近藤、植村、備前、杉下、中谷、大島、山…

62

【2008年開幕時点】 この背番号は“花火師”のイメージ。唯一のレギュラーがレッカだが、「62」の番号性質を明かす上でこれほどの適任者はいない。キャッチャー・ファールフライ捕りの名人といわれ、'53年パ4位の23本塁打(・・・1位が31本の年)を放つ一方、三振は…

61

【2008年開幕時点】 近代投手が足を向けて寝られない背番号。何せ先発投手のローテーション制を導入した藤本定、先発・救援の分業制を根付かせた近藤が、その起用法を本格遂行した時に着けていたのが「61」。そしてある意味、反面教師的な促進材料となった'6…

60

【2008年開幕時点】 厳密には'53年着の(専任) 投手コーチの元祖・谷口 {※1}がいるが、何といっても「60」を表舞台へと押し上げたのは三原。 入番した'54年はライオンズ監督就任4年目。この年二塁に仰木彬、 一塁に河野昭修が準定着し、 既成レギュラーの三塁…

59

【2008年開幕時点】 潜在能力はきわめて高い。 '77年二軍史上初の打撃3冠 (+盗塁王で史上唯一4冠)王の庄司(・・・一軍では「59」計57試合で6打席1安打)、 '97年二軍2例目の3冠王・ボニチ(・・・一軍計12試合21打席で0安打10三振)。 '56年12勝1敗 ~〜'57年13勝2敗…

58

【2008年開幕時点】 来日2年目いきなり17勝で最多勝に輝いたホッジス、に同'02年(前年まで12年で計66試合24安打→)いきなり三番に準定着の宮地、'90年には捕手→二塁に転じ、(3年で計22試合1安打→)いきなり一番定着した飯田と、ノーマークからの急台頭選手が目…

57

【2008年開幕時点】 ドラゴンズの出世番として著名な「57」。そのイメージが付いたのは'80年代の平野から。 '78年に投手として入団(1年目は「81」番)。'79年途中~外野手転向。'80年途中~両打[スイッチ]転向。4年目の'81年(大卒なのですでに26才)に1軍初出…

56

【2008年開幕時点】 これといって特徴のない「56」にあって{※1}、ジャイアンツがこ25年ほど次代正捕手リレーを通しているのがひときわ目につく。 脱番後、村田真がレギュラーとなり、杉山と村田善もレギュラー争いに参戦し、すっかりそのイメージが浸透した(…

55

【2008年開幕時点】 すっかりゴジラ・松井秀喜の背番号として浸透した 「55」。 嶋、 岡田、 神戸[こうべ]、 伊奈には“○○ゴジラ”の異称があり、 佐藤吉も入団時、 愛称“ゴリ”を登録名にと自薦した左の強打者。喜田[きだ]、小斉も含め、ちょうど本家の日本離…

54

【2008年開幕時点】 何といってもエポックは「54」初のドラフト1位新人着・槙原のデビュー時。 過去'56年に後藤が、5年目で所属4球団目(2度は解雇→テスト入団、残り1度は球団合併、での移籍)にして初戦力参画となる33登板6勝12敗(~もオフ、再び自由の身に)…

53

【2008年開幕時点】 速球王・五十嵐~盗塁王・赤星の活躍ですっかり根付いたスピードナンバー。 この番号、全くクセがなく、どんなタイプにもよくハマる。 “5”と“3”の並びがもたらす絶妙のバランス感には独特の個性があり、上品かつ神秘的な趣もある。単純に…

52

【2008年開幕時点】 イチロー(=「51」)を追うイメージで固まりつつある「52」。高校時“薩摩のイチロー”と呼ばれた川﨑を筆頭に、栗山、紺田、赤松、石川雄、坂口智、星と快足トップバッター候補が続々入番。十川[そがわ]、塀内[へいうち]、都築[つづき]、大…

51

【2008年開幕時点】 イチローの出現により一気にメジャーナンバーとなった「51」だが、イチロー以前にも井上登、土井、大杉のクリーンアップ打者に(後者2名は四番) 、準エース格投手の古沢と、チームの中枢選手が一定期間「51」で通したのには先例がある(ただ…

50

【2008年開幕時点】 試練はいきなりやってきた。'36年オフ、 「名古屋」の編成の長・河野安通志[あつし]が退団〜新球団・イーグルスのオーナーに就任。するとレギュラー級4選手があとを追い、監督・池田豊は審判転向。で、ガタガタになった新チームの指揮を…

49

【2008年開幕時点】 クロマティの圧倒的成功で外国人選手が着けるケースが格段に増えた。ものの追随成功例は少なく、“助っ人級”の活躍を見せたのは'90年アレン、'92年モスビー、'01年ディアス、それにベイル、ぎりぎりマリオぐらい。 ハドラー、テータム、ジ…

48

【2008年開幕時点】 '37年に監督兼外野手の桝嘉一が「50」を着けレギュラー、の前例はあるが、その後戦前・戦中は最大背番号「39」、戦後も'46年「32」→'47年は最大こそ「50」も選手出場4試合(監督兼投手、2番目の「40」も助監督兼捕手で選手時1試合)、でレ…

47

【2008年開幕時点】 小山の登場で“投手”番となり、工藤の活躍で"左投手” 番となった「47」。この2大奇跡によって敬慕の眼差しを受けるようになったが、揺籃[ようらん]時は当然、無銘[むめい]の存在。その中にあってまず最初に"漂着”したのは、'56年保坂〜'57…

46

【2008年開幕時点】 「46」のイメージデビューは'53年。前年春の甲子園大会で4試合オール完封で優勝投手となった田所の入場時。しかしプロの水は甘くなく、29登板2勝6敗に終わった。シーズン終盤にはもう1人の高卒1年目投手、中村が10登板でアレヨアレヨと4…

45

【2008年開幕時点】 '54年、当年デビューの山下が8月無安打無得点試合を含む12勝(14敗、250イニング)。同年7月に初昇格した大石もそこから190回[イニング]を投げ5勝16敗。山下は'55年17勝(15敗、290回台)でチーム勝ち頭よ といきなり順境発進。も、すぐに'58…

44

【2008年開幕時点】 ハンク・アーロン(=大リーグ通算の715号を放つのが'74年)、レジー・ジャクソン(=ワールドシリーズ3打席連続本塁打で“ミスターオクトーバー”の呼称が付くのが'77年)の影響色濃い大砲番。両者とも大注目されるようになるのは'70年代以降…

43

【2008年開幕時点】 初めて1軍戦力としてイメージ帯同したのは'54年{※1}北原。27登板中21 先発 (91イニング)で4勝(3敗、&日本シリーズ2回[イニング]4奪三振)を挙げ、翌'55年22登板(1先発)38回 1勝の福島ともども次代主力候補として先行投資的起用された。そ…

42

【2008年開幕時点】 平成に入ってから突貫的に猛伸張してきた最新の“助っ人”定番。 永らく日本球界では、「42」がほとんど無視に近い状態で“放置”されてきた。だが各球団保有選手数の増加が着手を生み、'97年大リーグ全球団で「42」が永久欠番{※1}となってか…