2008年までの背番号風景

日本プロ野球における各背番号別イメージ変遷史

背番号

25

(2008年開幕時点) 別当、スペンサー、松原、大田、高井、クラーク、新井貴、村田修・・・と続くた右主砲ナンバー。中でも別当、スペンサーの存在は日本プロ野球史においても非常に重要な局面に位置している。特に別当はプロ入りがすでに“事件”だった。 当初マ…

22

(2008年開幕時点) 一時エース捕手番の座を獲る勢いだった「22」。ライバル「27」方の伊東勤台頭が'84年、そこから'89年中嶋聡台頭まで“正妻”は伊東1人。に対し「22」はその間、田村藤&木戸、に若菜('87年)、中尾 ('89年)の“多妻”ぶり。も、'91年以降、こ…

(2008年開幕時点) 基本的にスター番号だが、どうも頂点に君臨できない宿命も併せ持っている。 長島(茂雄)の隣で常にno.2扱いの王、という図はその後も大杉(勝男)と若松 、清原(和博)と秋山、広沢(克己)と池山、江藤(智)と前田らによって踏襲されてきた。そ…

60

厳密には'53年着の(専任) 投手コーチの元祖・谷口 {※1}がいるが、何といっても「60」を表舞台へと押し上げたのは三原。 入番した'54年はライオンズ監督就任4年目。この年二塁に仰木彬、 一塁に河野昭修が準定着し、 既成レギュラーの三塁・中西太、遊撃 豊田…

59

潜在能力はきわめて高い。 '77年二軍史上初の打撃3冠 (+盗塁王で史上唯一4冠)王の庄司(・・・一軍では「59」計57試合で6打席1安打)、 '97年二軍2例目の3冠王・ボニチ(・・・一軍計12試合21打席で0安打10三振)。 '56年12勝1敗 ~〜'57年13勝2敗で連続最優秀投手、'5…

55

すっかりゴジラ・松井秀喜の背番号として浸透した 「55」。 嶋、 岡田、 神戸[こうべ]、 伊奈には“○○ゴジラ”の異称があり、 佐藤吉も入団時、 愛称“ゴリ”を登録名にと自薦した左の強打者。喜田[きだ]、小斉も含め、ちょうど本家の日本離陸( 佐藤はそのウワサ…

51

イチローの出現により一気にメジャーナンバーとなった「51」だが、イチロー以前にも井上登、土井、大杉のクリーンアップ打者に(後者2名は四番) 、準エース格投手の古沢と、チームの中枢選手が一定期間「51」で通したのには先例がある(ただし“全う”となると現…

50

試練はいきなりやってきた。'36年オフ、 「名古屋」の編成の長・河野安通志[あつし]が退団〜新球団・イーグルスのオーナーに就任。するとレギュラー級4選手があとを追い、監督・池田豊は審判転向。で、ガタガタになった新チームの指揮を執ることになったのが…

47

小山の登場で“投手”番となり、工藤の活躍で"左投手” 番となった「47」。この2大奇跡によって敬慕の眼差しを受けるようになったが、揺籃[ようらん]時は当然、無銘[むめい]の存在。その中にあってまず最初に"漂着”したのは、'56年保坂〜'57'58年和田とレギュラ…

33

主役の影に配されてきた次点ナンバー。そのイメージ発現人は梶本、毒島[ぶすじま]の長身良識派の両人。 梶本は20勝以上4度の超一流実績ながらノンタイトル{※1} (奪三振数は当時タイトル選外)。 高卒1年目に20勝を挙げても新人王すら獲れなかった(同年宅和本…

31

柴原洋、真中、 小関の左一・二番打者競演が一段落し、森野、吉村、林威、小谷野の準中軸打者へとイメージ転回中の「31」。現在は真中も切り札代打で “打の人"イメージ主調。 かつてカークランド〜掛布が掲げた"本塁打者「31」"の金看板の復刻も近い将来叶い…

26

紆余曲折、この一語に貫かれた背番号というイメージがある。その筆頭領主・江夏は「28」でエースに君臨→「17」で“ストッパー”という働き場を確立、球団を転々としながら「26」では'79年〜3年連続優勝貢献。ストッパーの存在価値を“ペナント奪取の絶対条件”に…

24

ピッツバーグ・パイレーツ時のバリー・ボンズ('92年まで在番)、シアトル・マリナーズ時のケン・グリフィーJr.('99年まで在番)の影響で、走攻守揃った“左の万能スラッガー”番のイメージが濃い「24」だが、そのイメージに沿うのは高橋由伸だけ。 米国の源流が…

20

実質エースナンバーだった時期がある。タイトルラッシュが訪れた'50年代前半、'60年代序盤での'52'54年杉下、'55年大友、'61'62年権藤博は30勝台。'60年堀本も29勝で一挙「投手番号」中の頂点へ。さらに池永、木樽と続いた。だが個々事情はあるにせよ短命投…

18

エースナンバー。名を知らぬ投手でも背中に「18」とあれば“ああ期待されてるんだな”と勝手に思う。投げる前から、おそらく右のオーバーハンド、生え抜き、本格派であろうことも野球ファンなら知っている(目論見外の場合ももちろんある)。そういう認識のま…

14

「14」と聞くと左腕[サウスポー]イメージがわく。が、それが根付いたのは結構最近で阿波野('87〜'90年)、今中('90〜'96年)の活躍から。過去、清水、阿部、高橋輝が'50年に計33勝という年はあったが、その3左腕以外では'36年内藤、'54'55年武内、'56年榎原、…

11

豪腕・別所、ザトペック{※1}投法・村山、トルネード{※2}投法・野茂・・・と自負心の塊のような面々が旗印を務めてきた。全盛期は中3日登板を信条とし、それ以上間隔が空くと“稼げたはず”の勝ち星分の給料を監督に要求した別所、勝負球へのボール判定に激高、「…

「闘将」江藤に「ミスターロッテ」有藤[ありとう]、「ミスター赤ヘル」山本浩、「若大将」原が居並ぶスターナンバー。 古くは山口、から高田、島本講、梨田、原、吉竹、田尾、浜名に現役では平尾、相川、江川、の“プリンス”系の甘マスクもスターの系譜に彩り…

まず目を引くのが景浦、中西の豪傑スラッガー。野球の質は“タバコを1本吸い終える”という寓話を生むほど滞空時間の長かった景浦、と3段階加速のロケット弾道の中西、と対照的。景浦は'36年、年度優勝決定戦で沢村栄治から放った、左翼スタンドにワンバウンド…

現在「4」のイメージはすばしっこく小技に長けたセンス抜群の一・二番タイプ、主にセカンド、といったところ。これは高校球児の「4」像ともおおむね一致する。その雛形最後の作成者は大石、正田の両選手。別掲表でも一目瞭然で、2人の登場を機に外国人選手…

いわずと知れた強打者番。特に黄金時代を築いたチームの主軸は決まって“背番号「3」”。巨人第1期黄金時代(’38年秋〜'43年)の中島治、西鉄3連覇('56〜’58年)時の大下、V9の長島茂、西本幸雄監督時代の阪急('67〜'74年)での長池、森祗晶監督時代の西武('86…

00

すっかり俊足のバイプレーヤー番として定着した感のある「00」。別掲表を見ていると、まるで“背番号「00」を着ける者は俊足であること。ただし外国籍の者、代打を主とする者はその限りでない”とでも、野球協約で謳われているかのようだ。 だが、登場しばらく…