2023-01-01から1年間の記事一覧
【2008年開幕時点】 イチローの出現により一気にメジャーナンバーとなった「51」だが、イチロー以前にも井上登、土井、大杉のクリーンアップ打者に(後者2名は四番) 、準エース格投手の古沢と、チームの中枢選手が一定期間「51」で通したのには先例がある(ただ…
【2008年開幕時点】 試練はいきなりやってきた。'36年オフ、 「名古屋」の編成の長・河野安通志[あつし]が退団〜新球団・イーグルスのオーナーに就任。するとレギュラー級4選手があとを追い、監督・池田豊は審判転向。で、ガタガタになった新チームの指揮を…
【2008年開幕時点】 クロマティの圧倒的成功で外国人選手が着けるケースが格段に増えた。ものの追随成功例は少なく、“助っ人級”の活躍を見せたのは'90年アレン、'92年モスビー、'01年ディアス、それにベイル、ぎりぎりマリオぐらい。 ハドラー、テータム、ジ…
【2008年開幕時点】 '37年に監督兼外野手の桝嘉一が「50」を着けレギュラー、の前例はあるが、その後戦前・戦中は最大背番号「39」、戦後も'46年「32」→'47年は最大こそ「50」も選手出場4試合(監督兼投手、2番目の「40」も助監督兼捕手で選手時1試合)、でレ…
【2008年開幕時点】 小山の登場で“投手”番となり、工藤の活躍で"左投手” 番となった「47」。この2大奇跡によって敬慕の眼差しを受けるようになったが、揺籃[ようらん]時は当然、無銘[むめい]の存在。その中にあってまず最初に"漂着”したのは、'56年保坂〜'57…
【2008年開幕時点】 「46」のイメージデビューは'53年。前年春の甲子園大会で4試合オール完封で優勝投手となった田所の入場時。しかしプロの水は甘くなく、29登板2勝6敗に終わった。シーズン終盤にはもう1人の高卒1年目投手、中村が10登板でアレヨアレヨと4…
【2008年開幕時点】 '54年、当年デビューの山下が8月無安打無得点試合を含む12勝(14敗、250イニング)。同年7月に初昇格した大石もそこから190回[イニング]を投げ5勝16敗。山下は'55年17勝(15敗、290回台)でチーム勝ち頭よ といきなり順境発進。も、すぐに'58…
【2008年開幕時点】 ハンク・アーロン(=大リーグ通算の715号を放つのが'74年)、レジー・ジャクソン(=ワールドシリーズ3打席連続本塁打で“ミスターオクトーバー”の呼称が付くのが'77年)の影響色濃い大砲番。両者とも大注目されるようになるのは'70年代以降…
【2008年開幕時点】 初めて1軍戦力としてイメージ帯同したのは'54年{※1}北原。27登板中21 先発 (91イニング)で4勝(3敗、&日本シリーズ2回[イニング]4奪三振)を挙げ、翌'55年22登板(1先発)38回 1勝の福島ともども次代主力候補として先行投資的起用された。そ…
【2008年開幕時点】 平成に入ってから突貫的に猛伸張してきた最新の“助っ人”定番。 永らく日本球界では、「42」がほとんど無視に近い状態で“放置”されてきた。だが各球団保有選手数の増加が着手を生み、'97年大リーグ全球団で「42」が永久欠番{※1}となってか…
【2008年開幕時点】 上の表からも分かる通り、渡辺久の登場以前は圧倒的に野手優性ナンバー。それまでの通年奮迅例は'52年山根、'57年後尾、'58'59年三平[みひら]、'68年柿本(前者2名は2桁勝利)ぐらいで、他に'51'53年山根、'67'69年柿本、'70年半田、'79年…
【2008年開幕時点】 まさに孵化寸前。卵殻を思わす背番号。「39」までは基本1軍、「40」からは2軍、というイメージを顕すように、「40」脱初年にレギュラー(“準”含む)となったのが宇野、宮寺、久保、高橋慶、笘篠、塩谷、斉藤秀。初打率3割記録が宇野、並木…
【2008年開幕時点】 「27」 「22」に次ぐ正捕手ナンバー3番手。'63年までの土井に'69年岩木、'72年片岡、'73年水沼、'74~'83年中沢、'77~'81年若菜、'78年黒田、'88~'02年中村武、'92年秋元、そして'98年~矢野をレギュラー(もしくはレギュラー格)に得、'…
【2008年開幕時点】 「38」でキャリアハイを迎えたのは投手で三輪、ホフマン、に中継ぎの成重、野中、野手で末次[すえつぐ]、東条、阿部成、に捕手の山川、高田といったところ。他にレギュラー野手となった藤井康('88年)、片岡篤('92年)、土橋 ('94年)は脱番…
【2008年開幕時点】 たいていの30番台(「34」「39」を除いた)と同じく1軍半番号。相沢、米山、中島執、大失根、根来[ねごろ]、与田、大石、平野、定岡、篠塚、山川、元木、吉武、早川が脱番後にレギュラー戦力(“準”含む)となり、レギュラー獲得後脱番の清[…
【2008年開幕時点】 「36」のイメージを初掲揚させたのは国松。'59年に1軍定着、'60~'68年とレギュラーを務め、'69年準、'70年半レギ格。毎年“打率.250&本塁打10”前後で、'62年まで主に一番。から'63年柴田勲台頭により二番に移って(=当年犠打王&盗塁3位…
【2008年開幕時点】 現在は特徴を見出しづらい「35」だが、その登場は鮮烈だった。'40年に谷レギュラー&中田半レギ、'41年谷半レギの初動後、当時の東京6大学 No.1投手・藤本が'42年途中プロ入り来番。デビュー試合の9月27日先発登板は新聞紙上で告知され、…
【2008年開幕時点】 この背番号はほぼ金田正を下敷きにイメージ構成されている。それまで、玉腰が'40年に半レギ~'41'42年レギュラー、山根が外野補完要員。投手は'40年玉腰が初登板初完封の1勝、'43年中村4勝、'50年(5月に)荻原1勝。そして'43生は開幕前背…
【2008年開幕時点】 主役の影に配されてきた次点ナンバー。そのイメージ発現人は梶本、毒島[ぶすじま]の長身良識派の両人。 梶本は20勝以上4度の超一流実績ながらノンタイトル{※1} (奪三振数は当時タイトル選外)。 高卒1年目に20勝を挙げても新人王すら獲れ…
【2008年開幕時点】 暫定一軍戦力、それが「32」を与えられた選手の通則。ここをスタート地点に、正ポジション確保なればレギュラー番号を新調、バイプレーヤー定着なら「32」継続。何となく“ドラフト3位”的なイメージ。それは(「34」「39」を除いた)30番台…
【2008年開幕時点】 柴原洋、真中、 小関の左一・二番打者競演が一段落し、森野、吉村、林威、小谷野の準中軸打者へとイメージ転回中の「31」。現在は真中も切り札代打で “打の人"イメージ主調。 かつてカークランド〜掛布が掲げた"本塁打者「31」"の金看板の…
【2008年開幕時点】 これほど印象が一変した背番号もないだろう。'60年代序盤あたりまでは「監督番」一色。'60年代中盤はコーチの着用例も目立ってくるが、これはまぁ「監督番」イメージの亜流。ただ「監督番」→「選手番」へと移行する際のクッションになっ…
【2008年開幕時点】 ともに勝率1位となった'51年松田(23勝3敗)、'57年木戸(17勝7敗)。松田は'52年急落しながらも13勝したが、その2年を除くと計3勝。木戸は’57年を除くと9勝。'79年山口哲、'84年小林誠の両防御率1位投手は、ともにこの年が唯一の規定投球回…
【2008年開幕時点】 江夏以前、江夏以後で大きく印象が異なる。江夏以前はどちらかといえ野手の番号。投手は'42年広瀬、'52年野口正、'53年大神、'56'57年中山、'63年河村が20勝前後、'63年石川陽、’65年林が15勝超の突出実績はあるものの、規定到達回数を見…
【2008年開幕時点】 捕手のエース番。“準”を含んだレギュラーに、吉原[よしわら]、楠[くすのき]('51年)、根来[ねごろ]、森昌、谷本、加藤俊、大矢、大宮、伊東、中嶋、古田、吉永、古久保('95年)、山田 ('96年) 木村一('02年)、谷繁、日高、細川、と続く豪華…
【2008年開幕時点】 紆余曲折——。この一語に貫かれた背番号、の趣。その筆頭領主・江夏は「28」でエースに君臨→「17」で“ストッパー”という働き場を確立、球団を転々としながら「26」では'79年より3年連続優勝貢献。ストッパーの存在価値を“ペナント奪取の絶…
【2008年開幕時点】 別当、スペンサー、松原、大田、高井、クラーク、新井貴、村田修・・・と続くた右主砲ナンバー。中でも別当、スペンサーの存在は日本プロ野球史においても非常に重要な局面に位置している。特に別当はプロ入りがすでに“事件”だった。 当初マ…
【2008年開幕時点】 ピッツバーグ・パイレーツ時のバリー・ボンズ('92年まで在番)、シアトル・マリナーズ時のケン・グリフィーJr.('99年まで在番)の影響で、走攻守揃った“左の万能スラッガー”番のイメージが濃い「24」だが、そのイメージに沿うのは高橋由伸…
【2008年開幕時点】 かつてはスター野手ナンバー。'64年に山内一弘に抜かれるまで265で本塁通算最多記録保持者だった青田、'80年に衣笠祥雄に抜かれるまで1246で連続試合出場最長記録保持者だった飯田、華麗な内野守備{※1}で「今牛若丸」の異名を取った吉田…
【2008年開幕時点】 一時エース捕手番の座を獲る勢いだった「22」。ライバル「27」方の伊東勤台頭が'84年、そこから'89年中嶋聡台頭まで“正妻”は伊東1人。に対し「22」はその間、田村藤&木戸、に若菜('87年)、中尾 ('89年)の“多妻”ぶり。も、'91年以降、こ…