2008年の背番号風景

日本プロ野球における各背番号別イメージ変遷史

42

【2008年開幕時点】

 

 平成に入ってから突貫的に猛伸張してきた最新の“助っ人”定番。 永らく日本球界では、「42」がほとんど無視に近い状態で“放置”されてきた。だが各球団保有選手数の増加が着手を生み、'97年大リーグ全球団で「42」が永久欠番{※1}となってからは外国人占用番の趣と化す。'60年代以前は、1軍定着も'63年土井(にしても37試合40打席 1本塁打の“準”レベル)、微~半定着でも'55年後藤順、'56年瀬野、'58年岸、'66年斎藤、'67'68年園田(にトータルで'56'57年熱[あつ]田、'60~'62年鈴木、他年時土井)&'58年5登板1勝の舛[ます]井が挙がるくらい(・・・'53年笠原は「25」、藤尾は「9」、'54年仰木[おおぎ]は「5」番扱い)。輩出実績を見ても松山~藤尾~仰木の連続主力進境はあったが、他は笠原、後藤修、田代、舛井が半開花、に時間差付きで新浦[にうら]が主力、大隅が野手で控え定着・・・と、参画人数からすれば当然の地味な結果となっていた。
 そんな無性格が「42」に芽生えが訪れたのは(くしくもジャッキー・ロビンソンが没した'72年10月の翌)'73年。レポーズが66試合 12本.220ながら初1軍戦力定着、さらに移籍脱番後4年間中軸に座って110本、で逆照射的にも「42」像を浮かび上がらせた。そして逆に前年まで別球団で4年間中軸で132本を記録したジョーンズが、「42」でも38~29~36~11本を放ち、'74'76年本塁打王・・・は36年ぶりの助っ人キング、と「42」の印象度UPに大きく貢献した(ただ打率は平均.220台で、安打は'75年98が最多)。また同時期、真弓が3年間控え→'77年外野で準レギ獲得(.261 6本 21盗塁)→'78年遊撃レギュラーとなり.280=117安打、8本34盗塁でオールスター出場&ベストナイン選出・・・移籍脱番後、主力長期定着で年20~30本、'83年には首位打者=しかも当年「二塁」{※2}でベストナインと“和製J・ロビンソン”的選手に成長していく。この輩出実績の還元で「42」景気好況・・・とはならず、過去2年別球団でレギュラー二塁手→'80年「42」着のヒルトンが、一塁で16試合( + 代打で2試合)に出ただけで退団(.197 0本)、もあってイメージ下火に。以降、二塁or 遊撃手の「42」は'92年パリデス半レギ弱(.242  3本)、に'87年半レギ三塁手の(ランディー・)ジョンソンがゲーム事情で計34出場した他、'81'83年春日、'90年清水雅、'93'94年西、'94年坂口が少出場・・・で現在は跡形もなくなった。
 で、生き残るのはレポーズ~ジョンソン~'78年準レギ6本のリス、'79年23本→'80年(36試合で7本の王天上[オーテンジオ]、'80年半レギで8本のボークレア・・・より抽出された“強打”像。ただ'81'82年タイロンが外野レギュラーで計31本23盗塁('81年は.311で153安打)→'83年マイクも外野半レギ弱の1本8盗塁(.291、&'83年春日も外野出場が最も多く40試合70打席で1本17得点)と“'77年版の真弓"像を汲み、ライアン(4本)、コーリー(3本)、ヘンゲル(4本)、ウィッグス(1本)は100打席の壁も越えられず (アルゾーラは出場なし)。'87年ジョンソン(.319  6本)も守備巧み系(→控え半定着ながら'88年山口が同系・好守好打三塁のタマゴとして先行投資的にデビュー)・・・と“ジョーンズ級の強打”像が根付き始めるのはまだ少し先。
 一方投は'78年、フレッドが半主力定着 (25登板10先発、72  2/3回)で3勝。'79年、実績者・西井が中継ぎ役43登板(70回、3勝)で初フル定着。'79'80年計15登板した川原は脱番後主力(平沢もプチ)開花と輩出実績も得た。が、現役実績はしばし沈黙。から'87年復帰着した西井が11登板で再号令をかけると(自身は選手引退)、その意を汲んだ西本が'89'90年と中継ぎ定着(各4勝)。また'90年、シュルジーが先発3勝 + 救援3勝3Sで芽を吹くと、'91年救援で3勝7S、'92年は先発へ回り3勝。に'91年初打席本塁打・・・は'75年パにDH制導入後、初の同リーグ投手本塁打{※3}と瞠目事例産出。ただ当本塁打は9回に救援失敗し、11回“本来は回るはずでなかった”打席での1発、だったように投手としては“悪くはないが今1つ”のカラを脱せず。'94年ヘンリーも半主力(31登板5先発、67 1/3回)で3勝7敗と今1つ。
 片やこちらも当たりが止まっていた“助っ人打者”方は'92年、別球団で過去4年連続3割(首位打者1度)のパチョレックがその実績通り.311=リーグ最多の159安打(&リーグ最多の33二塁打)、22本で(一塁の)ベストナイン&ゴールデングラブと大当たり。'93年、.243  7本(74試合)に急落も連続オールスター出場し計4安打.364、 '92年パリデスは日本シリーズで4安打.400。不足気味のパワーは'93年タイゲイニーが準レギで23本(.290)→'94年10本(.248)、'95年ブリトーは半レギで21本(.313) →'96年29本(.253) + '96年オールスター1本、より注入。加えて'93年西が控え(105打席)で.293~'94'95年微出場・・・も'94年1本、に'94年渡辺代打で19出場、のシュア打勢がイメージデコレイト。また'90'91年計30試合(8打席)で3盗塁 14得点の代走・守備役の清水雅が、'92年レギュラー着座し.229  4本14盗塁→'93年は控え (83試合 85打席)で3本6盗塁 + 同年タイゲイニーも9盗塁と再び“走”印象が台頭・・・するが以後霧消。
 他方投は'95年、ヒルマンが197  1/3回を投げ12勝&防御率4位(同年モンテも先発2勝)→'96年213  1/3回(1位)で14勝&防御率2位でベストナイン、オールスター先発登板。でイメージの主旋律を奏で、'98年クロフォード(4勝)~'99年ウィッテム(6勝)&ホセ (2勝)が先発半~準定着(ヒルマンは'97'98年計2先発=0勝)。'97年有動~'98年山田勉は救援微、'98年入来は同準定着( + 入来は'97'98年計2先発2勝)。から'00年、バンチが14勝(最多勝)&184回(も最多)で防御率4位、オールスター出場し、開幕2登板目に無安打無得点も達成。同'00年メイも12勝&防御率3位、オールスター先発登板、日本シリーズ2先発(1勝1敗)。でイメージ突進出。'01年も両者10勝&バーグマンも10勝 + 日本シリーズ1先発(にラドウィックが'00'01年計19先発・・・3勝)。'02年はバンチ7勝、バーグマン4勝と減衰も総印象は増反。
 さて、打方は'99年20本.253の(マーク・) ジョンソン、'99'00年準レギで計32本.237 + シリーズ計2本.148のニエベス、'00年19本.239のタラスコ、'00年準レギ10本.260のジェファーソン、'99年半レギ8本.202のジンター、'01年半レギ14本.234のクルーズ、'01年半レギ10本.193のミッチェルの準~半“助っ人”は出るが、100打席前後の'97'98年ペンバートン(計6本 + '98年シリーズ1本)、'97年パークル(2本)、'98年トンプソン(2本)、'00年ナナリー(5本)、に'96'97年代打定着の吉田{※4}も含め“スケールの小さいジョーンズ”ばかり。という中へ、'01年よ
りカブレラが49~55~50本でオール100打点超('02年は打率も2位の.336=150安打)、'04年は故障により半レギで25本、のあと36~31~27本('06年は100打点&打率2位) + オールスター(5度)、シリーズ(2度)とも計5本。加えて'05年、西武ドームの天井部直撃の推定180m=史上最長弾を放ち、「42」の代名詞的存在となった。続いてズレータが6月入団の'03年半レギ13本、以降37~43~29~15本('04年は100打点→'05年99打点&打率2位) + オールスター(2度)、シリーズ(1度)各1本。にフェルナンデスも'03年32本100打点.302 →(改番→帰着の)'06年も28本 88打点.302 (→再改番)と手厚くフォロー。'05年ロペスも期待外れ(準レギ12本.223)ながら“新生球団の主軸”候補として衆目集めに一役買った。
 助っ投は'03年ブロック先発8勝~'04年ドミンゴ10勝+シリーズ2 先発(→'05'06年計3勝)、'05年セラフィニ11勝 + シリーズ1勝(←'04年4勝)、&'04'05年ゴンザレス各4勝。から'06年パウエル10勝(&バーン2勝)で3年連続先発2桁投手現出。'07年はスウィーニー5勝のみも8・9月の佳境時4勝。そして'03年より下柳が9~7~15(=リーグ最多)~12~10勝 + '03年シリーズ1勝~'05年1敗、で今や先発陣の支柱的存在。'05年より半~準定着(計7勝)の長谷川もそれに次げる候補。片や救援陣は中継ぎで'01'03年高橋、'02~'06年萩原('02年後半は抑え&'05年は2試合連続含む5先発も担当)、'04'05年シコースキー、'07年木田が奮迅しイメージ急浸透。他に'02年スタニファーが微、'04年セラフィニ(1勝)、'05年ゴンザレス、'06年長谷川、バーン(1勝)、'07年 S.ラミレス(1勝)も半~準定着(&登板少だが'03年下柳、'05年長谷川、’07年スウィーニーも各1勝 + スウィーニーはシリーズでも登板)。そして、'05年よりクルーンが抑えで26~27~31Sとハマり、'05年には161km/hの“スピードガン”史上最速計時。“技巧の下柳”と好コントラストを成す、投2軸目の支柱として並び立った。
 対して減衰気味の打の両雄だが、'08年着の2名を加え巻き返し印象を(&ブラゼルは、'04年バーンズ4本~'07年K.ウィット6本と沈滞中の“左”の新参としても)打ち付けられるか。
【2008年開幕時点】

{※1}20世紀初の黒人大リーガー、ジャッキー・ロビンソン('47年4月15日初出場)を永続的に偲んでのもの('97年時「42」番だった選手は継続着用可で、2008年現在ニューヨーク・ヤンキースのマリアーノ・リベラが唯一のフルタイム着用者・・・4月15日のみ「42」着を人数無制限で解禁している)。
{※2}のちツギオ(佐藤二郎)も退番後に社会人チームで正二塁手、四番も任されている。
{※3}2本目記録者は前番時のパウエル。 またバンチは通算3本.201、ブロック2本.318。
{※4}プロ退団後、社会人球界で「42」復帰~全日本でも「42」を着けプレーした。
【2008年開幕時点】