「14」と聞くと左腕[サウスポー]イメージがわく。が、それが根付いたのは結構最近で阿波野('87〜'90年)、今中('90〜'96年)の活躍から。過去、清水、阿部、高橋輝が'50年に計33勝という年はあったが、その3左腕以外では'36年内藤、'54'55年武内、'56年榎原、…
豪腕・別所、ザトペック{※1}投法・村山、トルネード{※2}投法・野茂・・・と自負心の塊のような面々が旗印を務めてきた。全盛期は中3日登板を信条とし、それ以上間隔が空くと“稼げたはず”の勝ち星分の給料を監督に要求した別所、勝負球へのボール判定に激高、「…
「闘将」江藤に「ミスターロッテ」有藤[ありとう]、「ミスター赤ヘル」山本浩、「若大将」原が居並ぶスターナンバー。 古くは山口、から高田、島本講、梨田、原、吉竹、田尾、浜名に現役では平尾、相川、江川、の“プリンス”系の甘マスクもスターの系譜に彩り…
まず目を引くのが景浦、中西の豪傑スラッガー。野球の質は“タバコを1本吸い終える”という寓話を生むほど滞空時間の長かった景浦、と3段階加速のロケット弾道の中西、と対照的。景浦は'36年、年度優勝決定戦で沢村栄治から放った、左翼スタンドにワンバウンド…
現在「4」のイメージはすばしっこく小技に長けたセンス抜群の一・二番タイプ、主にセカンド、といったところ。これは高校球児の「4」像ともおおむね一致する。その雛形最後の作成者は大石、正田の両選手。別掲表でも一目瞭然で、2人の登場を機に外国人選手…
いわずと知れた強打者番。特に黄金時代を築いたチームの主軸は決まって“背番号「3」”。巨人第1期黄金時代(’38年秋〜'43年)の中島治、西鉄3連覇('56〜’58年)時の大下、V9の長島茂、西本幸雄監督時代の阪急('67〜'74年)での長池、森祗晶監督時代の西武('86…
すっかり俊足のバイプレーヤー番として定着した感のある「00」。別掲表を見ていると、まるで“背番号「00」を着ける者は俊足であること。ただし外国籍の者、代打を主とする者はその限りでない”とでも、野球協約で謳われているかのようだ。 だが、登場しばらく…
プロ野球選手にとって背番号変更とは(見せ方でも見られ方でもなく)見え方が変わってしまう点で、整形手術を受けるのと同じである。いや、無痛だから違うではないか、と思う人もいようが さに あらず。体にメスを入れるのと同様、痛みもともなうのだ。そんな…
『日本プロ野球記録大百科 2004』 ベースボール・マガジン社『プロ野球 70年史 1934→2004 歴史編/記録編』 ベースボール・マガジン社『プロ野球人名事典 2003』 森岡浩 編 日外アソシエーツ『昭和プロ野球背番号変遷史』 深瀬大輔 創栄出版『プロ野球データ…
カッチリ決まっているというより、ある程度遊びを持たせた大体の基準ですが、 レギュラー・・・規定打席(年によっては規定打数)or投球回到達。もしくは規定に若干足りないぐらい。 準レギ・・・準レギュラーの略。野手はシーズン300打席前後、投手は先発100イニ…
移籍などで当該年途中で変番となった場合も「1年」 で換算する。 選手名については、その背番号を着用時の登録名を採用。 在番中に改姓・改名があった場合は期間の長い方 (同期間なら後者のもの) を採用。 ただし'08年 "開幕時点” で現役の者はその時点での…
対象となるのはMVP、首位打者、本塁打王、打点王、得点王、盗塁王、沢村賞、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、奪三振王、最優秀救援、 最優秀中継ぎ、新人王。 これに無安打無得点記録を加えた。 なおMVPは'37年春制定。 沢村賞は'47年制定。 また'50~'88年…
・野手(投手登板なし) の場合は、打席+安打×10+本塁打 × 10 (投手登板ありの野手は投手と同様の方法を採る)。 ・投手はまずシーズンごとに区切る。 そして、イニング×3+先発勝利×100+救援勝利×50+敗北×10+セーブ×50+ホールド×100/3を 「投手ポイント」として…
紫・・・監督or総監督 (指揮権保有者のみ) 青・・・コーチor二軍監督 (指揮権のない監督&総監督も含む) 黄・・・投手 緑・・・捕手 オレンジ・・・内野手 ピンク・・・外野手 無色・・・裏方(もしくはポジション不明) 上下2色で上が紫・・・監督兼○○ 上下2色で下が紫・・・代理監督 上…
15年ほど前に書いた原稿を順次アップしていきます。 2008年の状況を書き留めたものなので現在から見ると少々古い情報かも知れませんが、古本を覗くような感じでご覧いただければと思います。 いずれは2008年から現在までを反映させた記事を加筆する予定です…