(2008年開幕時点) 一時エース捕手番の座を獲る勢いだった「22」。ライバル「27」方の伊東勤台頭が'84年、そこから'89年中嶋聡台頭まで“正妻”は伊東1人。に対し「22」はその間、田村藤&木戸、に若菜('87年)、中尾 ('89年)の“多妻”ぶり。も、'91年以降、こ…
(2008年開幕時点) 基本的にスター番号だが、どうも頂点に君臨できない宿命も併せ持っている。 長島(茂雄)の隣で常にno.2扱いの王、という図はその後も大杉(勝男)と若松 、清原(和博)と秋山、広沢(克己)と池山、江藤(智)と前田らによって踏襲されてきた。そ…
まずは頭文字が「あ」の選手から。 左端の「み」「ひ」「り」というのは“右”“左”“両”を表しており、何投げ何打ちかを示したもの。途中で転向した場合は歴の長い方を採用。 各人の着用背番号を若い番号順に掲載(2008年開幕時まで)。 選手時、コーチ・監督時…
厳密には'53年着の(専任) 投手コーチの元祖・谷口 {※1}がいるが、何といっても「60」を表舞台へと押し上げたのは三原。 入番した'54年はライオンズ監督就任4年目。この年二塁に仰木彬、 一塁に河野昭修が準定着し、 既成レギュラーの三塁・中西太、遊撃 豊田…
潜在能力はきわめて高い。 '77年二軍史上初の打撃3冠 (+盗塁王で史上唯一4冠)王の庄司(・・・一軍では「59」計57試合で6打席1安打)、 '97年二軍2例目の3冠王・ボニチ(・・・一軍計12試合21打席で0安打10三振)。 '56年12勝1敗 ~〜'57年13勝2敗で連続最優秀投手、'5…
すっかりゴジラ・松井秀喜の背番号として浸透した 「55」。 嶋、 岡田、 神戸[こうべ]、 伊奈には“○○ゴジラ”の異称があり、 佐藤吉も入団時、 愛称“ゴリ”を登録名にと自薦した左の強打者。喜田[きだ]、小斉も含め、ちょうど本家の日本離陸( 佐藤はそのウワサ…
イチローの出現により一気にメジャーナンバーとなった「51」だが、イチロー以前にも井上登、土井、大杉のクリーンアップ打者に(後者2名は四番) 、準エース格投手の古沢と、チームの中枢選手が一定期間「51」で通したのには先例がある(ただし“全う”となると現…